盆踊りの由来や日本三大盆踊り、浴衣のたたみ方などを解説!

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夏のお祭りといえば盆踊りです。日本の伝統行事として各地で行われています。特に日本三大盆踊りはとても大きなお祭りで、一度は行ってみる価値があるものです。また、見た目がかわいい浴衣ですが、着方やたたみ方を覚えておくといいでしょう。

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盆踊りとは

盆踊りは、お盆に帰ってきてくださったご先祖様の魂との別れを惜しむ踊りであり、魂を供養するための踊りが始まりです。

そのためでしょうか、昔から伝わる踊りの中には、楽しいだけでなく不思議と悲し気な踊りのようにも感じられます。

盆踊りの由来など

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本来、盆踊りの起源は、平安時代の菅原道真が讃岐の国司を務めていた時に、「雨乞いの踊り」として行った祈祷の雨ごい踊りだといわれています。

法然上人が、仏教を広めるために全国を行脚していた時に、隠岐の国の雨ごい踊りを見て、踊りながら念仏を唱える布教方法を考え出したのです。

やがて空也上人が踊念仏として、全国に広めていき一遍上人へと継がれていきます。念仏を唱える人と踊る人が分かれて念仏踊りへと発展していくのです。

その後、盂蘭盆会の行事として、ご先祖様の霊を迎える、または死者を供養するための行事として定着していったのです。

15日の晩に盆踊りをし、16日に精霊送りをするのもそのためです。また、15日は満月で、月明かりで明け方まで踊れるからという理由もあるようです。

初期の盆踊りは、仏教行事として新盆を迎える家にみんなが集まって、家の前で輪を作って踊り、家人は踊り手を御馳走でもてなしたようです。

庶民は、読み書きが出来なかったので、どのように踊ったのかは文献として残っていません。口伝えで代々伝わる盆踊りと口説きと呼ばれる歌が、今も残っている地域があります。また、初盆の供養を目的に開催される地域もあるようです。昔の生活を知るとても貴重な資料ですね。

鎌倉時代には、経済力を得た庶民が盆踊りをプロデュースするようになってきます。

仏教行事的な意味合いが薄れ、民俗芸能として庶民の間に定着して、娯楽的な意味合いが強くなりました。更に江戸時代になると、盆踊りは各地域の人々の交流の場となり、男女の出会いの場にもなっていったということです。

ちなみに、盆踊りは必ず旧暦の7月15日に行われました。その日は満月で、月明かりの下で夜通し踊るのです。日本では性は神聖なものとされ、宗教行事には非日常的な聖なる性が必要と考えられていました。盆踊りも性的色彩を帯びるようになります。

未婚の男女だけでなく、既婚者も羽目を外せる日として、出会いの場になっていったのです。

あまりにも風紀が乱れたため、明治時代に警察が取り締まって沈静させたらしいです。盆踊りというと、なんとなくワクワクするのは日本人のDNAなのかもしれませんね。

盆踊りのやぐら

盆踊りには必ずと言っていいほど、やぐらがありますね。盆踊りのやぐらといえば、広い会場の中央付近に少し高いお立ち台のように作られているものから、さらに塔のように上まで伸びているものを指して言います。

そもそもやぐらとは、「櫓」という漢字を使います。「矢倉」、「矢蔵」などという字も当てられるもので、建築物などを総称していうようです。

木などを使って高くまで組み上げられたものや、お城などでは矢や銃を使って攻撃するための場所を言ったりもします。

盆踊りでは、やぐらで太鼓や笛を演奏したり、紅白の幕を垂らしたりして、お祭りの中心部分として、お祭り自体を盛り上げる重要な役割を果たしています。


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日本三大盆踊り

盆踊りは、地元の小さなものから大きなものまで、日本中で行われます。中でも伝統があって規模の大きな、秋田の「西馬音内の盆踊り(にしもないのぼんおどり)」、岐阜の「郡上踊り(ぐじょうおどり)」、徳島の「阿波踊り(あわおどり)」を、「日本三大盆踊り」といいます。

西馬音内の盆踊り(にしもないのぼんおどり)

秋田県雄勝郡羽後町西馬音内で行われる盆踊りで、毎年8月16日から18日まで西馬音内本町通りで行われます。読み書きのできなかった庶民の祭だったので、起源は記録が全くなく、伝承によるものしかありません。

もっとも古い伝承によると正応年間(1288~93)、修行僧源親が蔵王権現(現在の御嶽神社)の境内で豊年祈願として踊らせたのが発祥といわれています。

現在はかがり火を囲んだ細長い輪をつくり、各お家に代々伝わる歌舞伎の黒子のような頭巾、彦三頭巾(ひこさずきん)や、編み笠とあでやかな端縫い衣装をまとった踊り手が、にぎやかで勇ましく鳴り響くお囃子にあわせて、夕方から夜更けまで優雅に踊ります。

野性的で男性的な囃子に対し、流れるような上方風の美しい踊りの対比が独特です。

男踊りとか女踊りはなく、男女とも、しなやかな女性的な踊りです。

国指定重要無形民俗文化財になっています。「亡者踊り」という別名があるのは、編み笠や、目の穴を開けただけの黒い彦三頭巾を頭からすっぽり被り顔を隠す姿が不気味だからです。

本来、 女性の踊り手が使用する端縫いは、地元では長年の経験者、心身共に成熟した人が着るという伝統があり、端縫いには必ず笠を組み合わせます。子どもたちはよちよち歩きのころから踊りを覚えます。

豆絞りの鉢巻をして踊るのは、15歳以下の子供たちです。年齢が15歳前後以上は男女にかかわらず、彦三(ひこさ)頭巾か編み笠をかぶって顔をかくすのが正式で、女性は端縫いを着るまでは藍染や絞りの浴衣で参加します。

また、毎年8月第1日曜日に開催されている藍と端縫いまつりは、西馬音内盆踊りまちなみ推進協議会が平成12年から始めたイベントで、踊り衣装を持つ家々が祭りの前に衣装を出して虫干し作業をするのが美しいので、大勢の人に藍と端縫いの魅力を見てもらおうと企画されました。

それぞれ趣向をこらして衣装を展示し、町全体が美術館のようになります。

西馬音内そば

西馬音内ではそばも有名です。そば屋は古くから住民の集まる場所として大切な場所でした。現在でも多くのそば屋があります。盆踊りと合わせて、そばを食べに来る人もたくさんいます。

中には人気店もありますので、時期や時間によっては混雑しますので、要注意です。ちなみに西馬音内のそばは、冷かけ蕎麦が名物のようです。

西馬音内へ行ったら、必ずそば屋にも寄りたいところです。

→ 西馬音内盆踊りのHP

郡上踊り(ぐじょうおどり)

郡上おどりは400年にわたって続く岐阜県郡上市八幡町で開催される伝統的な盆踊りで、毎年7月中旬から9月上旬まで32夜続く日本一ロングランの盆踊りです。

特に8月13日から16日までは20:00~翌4時まで徹夜で踊ります。江戸時代に城主が百姓一揆の後、士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め踊らせたのが発祥といわれています。

「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい」と奨励したため、身分の差や住んでいる地域も関係なく一緒に踊る歴史的背景があるのです。

だから、現在も観光客が参加できる「見るおどり」ではなく「踊るおどり」といわれるお祭りになっています。1996年に国から重要無形民俗文化財に指定されました。

現在8月13~16日の4日間で「徹夜おどり」に全国から訪れる踊り客は約25万人といわれています。

郡上おどりの曲

郡上おどりで演奏されるお囃子を郡上節といい、「かわさき」「春駒」「三百」「ヤッチク」「古調かわさき」「げんげんばらばら」「猫の子」「さわぎ」「甚句」「まつさか」の10曲です。

それぞれ異なる踊りが付きます。踊る順序は決まっていないようですが、最後は三味線や太鼓のない拍子木と唄だけのお囃子で踊る「まつさか」で終わります。

→ 郡上おどりのHP

阿波踊り(あわおどり)

阿波おどりは、もともと徳島城下の盆踊りとしてあったのではなく、近畿地方などで踊られていた風流踊りなどのさまざまな踊りが取り入れられ、庶民に支えられ変化しながら現在の阿波おどりに発展していきました。

阿波踊りの起源は、旧暦の7月に行われた盆踊りであるという説、天正6年(1578年)に十河存保が勝瑞城で風流踊りを開催したのが始まりとする説。天正15年(1587年)に蜂須賀家政によって徳島城が落成したときに祝賀行事として、城下の人々が踊ったのが始まりという説。

この3つが有力ですが、記録がないので定かではありません。

天正14年(1586年)に徳島入りをした蜂須賀家政が徳島を治めていたとき、藍、塩などで富を蓄積した徳島の藍商人たちが花柳界の芸者の間で「お座敷芸」として踊られていた阿波おどりをより洗練されたものに育て上げたといいます。

築城のお祝いに、芸者たちに踊らせたとか、商談の時に他国から来た商人をもてなすのに踊らせたため、どんどん華やかになり、衣装も派手になっていったといいます。

だから当時の阿波踊りは、ほかの盆踊りのように先祖供養が主な目的というよりは、娯楽性が優先していたようです。

商人たちが衰退して庶民たちに受け継がれ定着したころは、お盆の期間に先祖供養の気持ちを込めて踊るようになりました。いずれにしても変遷しながら400年以上の歴史があります。

阿波踊りは男踊りと女踊りがあります。

男踊り

法被(はっぴ)を着て踊る半天踊り(はんてんおどり)と、男物の浴衣をしりからげに着て踊る浴衣踊りがあり、足元はたびを履いて踊ります。

女踊り

女物の浴衣に網笠を深く被り、下駄を履くのが特徴で、艶っぽく、上品に踊るのが良いとされています。浴衣の着付けとは違って、じゅばん、裾除け、手甲を付け黒繻子の半幅帯をお太鼓のように結びます。

女性が男踊りをしたり、ジェンダーフリーの現在、性同一障害の男性の女踊りも認められています。

お盆の期間、三味線、太鼓、鉦鼓、篠笛などの2拍子の伴奏にのって連(れん)と呼ばれる踊り手の集団が通りを踊り歩きます。

えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…と唄われる「よしこの」のリズムです。

このリズムはマーチ、サンバと並ぶ世界三大リズムの一つともいわれています。

一つの踊りのグループの事を「連(れん)」または「輦(れん)」といって各協会などに所属している連を有名連といいます。それ以外にも個人が作る連がたくさんあります。

すべての人が、楽しく踊って、この世の憂さを晴らし、ご先祖様を供養し生まれてきたことを感謝するお祭りです。

→ 阿波おどりのHP(徳島市)

浴衣について

浴衣の由来

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浴衣の由来は、平安時代の湯帷子(ゆかたびら)が原型です。平安中期に成立した倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)に、内衣布で沐浴するための衣と書かれています。

平安時代は、複数の人と入浴する習慣があったため汗取りと裸を隠す目的で使用されたようです。入浴とはいっても今のように湯につかるのではなく、当時は、蒸気を浴びるサウナのような蒸風呂で、水に強く水切れの良い白っぽい麻の薄い単(ひとえ)を着ていました。

安土桃山時代はお湯につかる今と同じお風呂に入るようになり、湯上りに着て肌の水分を吸い取らせる目的で広く用いられるようになりました。

江戸時代になり、町人文化の発展とともに、ゆかたも進化してきました。浴衣が庶民の間にひろがったのは江戸後期に風呂屋が普及したことによります。

江戸時代には風呂には裸で入るようになっていました。だから浴衣も今のバスローブのように、風呂屋の2階などで着ていたものが、だんだんそのまま外へ着て出るようになり、下着から外着へと変わりました。生地も麻から木綿に変わっていきました。

やがて、そろいの浴衣で、花見や盆踊りをするようになり、浴衣文化が花開きます。

また、天保の改革で、庶民は絹を着てはいけないというおふれが出て、浴衣はますます発達しました。

浴衣のたたみ方

一般に浴衣のたたみ方は「本だたみ」といいます。縫い目ごとに折り返せばいいので、慣れれば簡単です

百聞は一見に如かずといいますので、参考になる動画がありますので、ご覧ください。

画像を見て頂ければわかると思いますが、ポイントを記しておきます。

  1. 襟側を左に裾側を右になるように置きます。
  2. 手前の身頃を脇縫いに添って折り、折りたたんだ身頃のおくみ部分を縫い目のところで手前に戻すように返します。
  3. 向こう側のおくみを引っ張って来て、②でたたんだおくみに重ねます。(身頃がだぶついていますが大丈夫です)
  4. 向こう側の脇縫い部分を持って、手前の脇縫いに合わせます。(ここでだぶつきがなくなりますので、しわをきれいに伸ばします)
  5. 腰から下部分がたためました。たためた部分をそっと折っておき、少しずらして腰から上の部分を自分の前に持ってきます。(広い場所なら自分が移動してもいいです)
  6. 衿のうなじに当たる部分を内側に倒して衿山と衿山、衿先と衿先を重ねます。襟もとの折りじわは取れにくいので、ここは特にきちんと伸ばしておきます。
  7. 左袖を手前に持って来て、身頃の上に重ねます。
  8. 腰下のたたみ終わっている部分を左袖の上にかぶせるようにたたみます。
  9. 浴衣をしっかりつかんで、ひっくり返します。
  10. 右袖を見頃の上に重ねます。裾を衿部分に重ねると2つ折りが完成です。この形でしまいます。

もしこのサイズでも長すぎてしまえない場合は、袖のちょうど下の分部の身頃でもう一度折ります。袖の分部で売ると、変な折りじわが付いてしまうので注意しましょう。

浴衣の柄

浴衣には、昔から伝わる古典柄というものがあります。古典柄は、日本独特の伝統や厄除けなどの意味があって時代と共に大きく発展してきた文様です。

麻の葉

成長が早く、丈夫なので子供の健康を祈って使われました。麻の葉文様は男女ともに使用され、一般的には連続させて麻の葉繋ぎとして用いられます。

平安時代の仏像の衣にも用いられるほど歴史があり、シンプルで上品な模様です

牡丹

「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」と言われ、牡丹や芍薬は美しい女性の象徴とされます。

原産地の中国では花王とも呼ばれ荘厳なイメージです。牡丹の花言葉は「富貴」「壮麗」です。浴衣柄としては「女の子の幸福」を意味します。

菊は皇室の正式紋で、「十六花弁菊紋」は日本の紋章として使用されています。

花言葉も「高貴」「清浄」など、清らかで上品なイメージです。菊の花は、長寿の意味合いもあるので、大人の落ち着いた雰囲気に相応しい柄だといえます。

蝶

さなぎから蝶に変化するので、「復活」「変化」「不老不死」を表します。「ちょう」の音から、「長寿」の願いも込められています。

菖蒲(あやめ)

菖蒲は、魔よけの効果がある花です。また、「しょうぶ」と読むところから、必勝祈願や尚武と当て字にして礼儀正しさを意味します。

撫子(ナデシコ)

「大和撫子」の由来であるなでしこの花は、日本中の野辺で見ることが出来る素朴でかわいい花です。笑顔を発想させる花で、誰にでも好かれるかわいらしい雰囲気があります。

藤もよく用いられる柄です。垂れる藤の落ち着いた曲線が浴衣によく映えます。いつまでも美しく、花がたくさんつくところから子孫繁栄 を意味します。

金魚

金魚

涼し気でかわいい金魚は、子供の浴衣に多い柄です。幸福と富を表す縁起のいい柄です。

昔から伝わる柄には、いろいろと縁起のいい意味があるのですね。最近は、デザイナーが描いたモダンな柄や、個性的な色彩の浴衣もたくさんあります。

浴衣は、お値段も手ごろで、お手入れも簡単。ぜひ浴衣を楽しんでみて下さい。

リンクも参考にしてみてください、


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