重陽の節句とは?2022年の日付はいつ?由来や食べ物、各地の行事などをご紹介します。
記事にはPRを含むものがあります。
重陽の節句は、菊の節句や栗の節句と呼ばれ古くから親しまれてきた重要な行事です。五節句の一つですが、あまり聞きなれません。重陽の節句の意味や由来、2022年の日付や食べ物、行事などをご紹介します。
重陽の節句とは
あまり聞き慣れない行事の一つに「重陽の節句」があります。
重陽の節句は、五節句の一つであり、七草粥で知られている人日の節句、雛祭りとして有名な桃の節句、子どもの日として制定されている端午の節句、七夕の節句と並び、江戸時代では重要な祝日として位置づけられていました。
重陽の節句は、旧暦の9月9日に行われ、不老長寿の象徴である菊を愛でながら、邪気払いをし、健康長寿を祈ったことから、別名を「菊の節句」とも言います。
重陽の節句の由来と歴史
中国では、古来から陰陽思想という考えが日常生活の根底にあります。
陰陽思想では、奇数を「陽」として縁起のよい数字と考え、偶数を「陰」として縁起の悪い数字として考えていました。
そのため、桃の節句である3月3日や端午の節句である5月5日、七夕の7月7日など奇数が並ぶ日付で邪気払いとお祝いを行っていたのです。
特に、9月9日は奇数の中でも最も大きな数字が並ぶ「重陽」であるため、一年で最もめでたい日として盛大にお祝いや邪気払いが行われていました。
日本へは、奈良時代に中国から重陽の節句が伝来してきたと考えられており、平安時代では宮中で菊を用いた様々な行事が盛んに催されていました。
江戸時代では、正式に五節句の一つとして祝日に定められ、庶民の間でも重陽の節句は「栗の節句」として浸透していきます。
ただ、重陽の節句は季節の変わり目である他の節句とは違い、農作物の収穫の時期とかぶります。
そのため、次第に重陽の節句は収穫祭に吸収されていき、重陽の節句として行事が行われることはほとんど目にしなくなったのです。
ですが、今でも重陽の節句は「お九日(おくんち)」として庶民の間で愛されており、様々な地域でおくんちの行事が開催されています。
[ad#co-2]
菊慈童の伝説について
重陽の節句の歴史を振り返る中で忘れてはならないのが、「菊慈童」の伝説です。
昔中国には周という国が存在していたのですが、そこの国王には「慈童」というお気に入りの召し使いがいました。
ある日、慈童はあろうことか、掃除中に国王の枕をまたいでしまったのです。
当時の中国では王様の枕をまたぐ行為は重罪にあたり、慈童は山の奥深くに追放されてしまいました。
そんな慈童を不憫に思った国王は、こっそりと慈童に釈尊から賜った観音経の一部を渡しました。
山に追放された後、慈童は国王から授かった経文を忘れないようにと菊の葉にしたためたのです。
すると不思議なことに、その経文が記された菊の葉に落ちた雨露が長寿を授ける霊薬となりました。
菊に霊力が宿ると考えられている由縁は、この菊慈童の伝説に端を発していると言われています。
重陽の節句では何をするの?
重陽の節句の主役といえば、「菊」です。
菊の花には、昔から寿命を延ばす力が宿っていると考えられており、観賞用だけではなく、薬草や食用としても人々から愛されてきました。
重陽の節句では、この菊を使った行事がたくさん行われます。
以下に行事を通した重陽の節句の楽しみ方についてご説明いたします。
①被せ綿(きせわた)
重陽の節句で一番有名な行事が「被せ綿」です。9月9日の前日に菊の花の上にシルクの綿を被せておきます。
そうすると菊の朝露が豊潤な香りとともに綿に移るのですが、その露を含んだ綿で9日9日の朝に体を拭いてお清めするのです。
古来から菊は霊力を持った植物と考えられており、菊の露で体を清めることで菊の霊力に加護され、若返ることができると言い伝えられています。
②菊湯
端午の節句で菖蒲を浮かべたお湯に入るように、重陽の節句でも菊の花を浮かべたお湯に入り、体を清める風習があります。
③菊枕
重陽の節句では、最大限に菊の霊力を利用して邪気払いをし、不老長寿を祈ります。
朝には、被せ綿で体を清め、夜には、菊を詰め込んだ菊枕で就寝します。
菊枕で眠ることで、邪気から身を守るという願いが込められています。
④菊合わせ
重陽の節句では、菊の霊力にあやかるだけではなく、菊の花そのものの美しさも堪能します。
菊合わせは、現代でいう菊のコンクールのようなもので、個人個人で菊を持ち寄ってその美しさを競う大会が開かれます。
また、菊まつりや菊人形展なども開催され、菊の美しさを思う存分楽しむことができます。
2022年の重陽の節句はいつ?
雛祭りや端午の節句は、新暦になった今でも3月3日と5月5日に盛大に行われています。
しかし、重陽の節句の行事は新暦の9月9日ではなく、旧暦の9月9日を新暦に換算した日にちで行われることもあります。
それは、重陽の節句で使われる菊や栗、茄子の収穫時期と新暦の9月9日にはズレがあり、新暦の9月9日ではまだ十分に菊や栗を楽しむことができないからです。
重陽の節句が廃れてしまった原因の一つに、この旧暦と新暦の違いがあると言われています。
重陽の節句をしっかりと楽しむためには、旧暦の9月9日に行うと良いでしょう。
- 新暦・・・2022年9月9日
- 旧暦・・・2022年10月4日
重陽の節句の食べ物
重陽の節句では、菊だけではなく様々な食べ物でもお祝いをします。
重陽の節句で楽しむ食べ物は次の通りです。
菊酒
平安時代から重陽の節句では、菊酒を楽しむ風習がありました。
菊酒とは、蒸した菊の花を冷酒に一晩漬け込んだものです。
菊の豊かな香りとお酒のおいしさを一度に楽しめるため、めでたい日である重陽の節句に相応しい習わしと言えるでしょう。
また、9月9日に菊酒を飲むと長寿になるとも言われています。
現代では、菊の花を漬け込むだけではなく、お酒の上に菊の花びらを浮かべて飲むのが一般的となっています。
栗ご飯
栗ご飯が重陽の節句で食べられるようになったのは、江戸時代からです。そのため、江戸時代では庶民の間で、重陽の節句は栗の節句とも呼ばれていました。
秋茄子
重陽の節句には、秋茄子の煮浸しや焼き茄子などが食卓に並びます。
昔から庶民の間で「おくんちに茄子を食べると中風にならない」という言い伝えがあります。
中風とは、半身不随や言語障害など脳血管障害の後遺症として現れる症状のことを指します。
菊の和菓子
重陽の節句ではもちろん食用の菊も食べられますが、菊をかたどった様々な和菓子を楽しみます。
この時期になると砂糖菓子や最中、羊羹など老舗の和菓子屋で見た目も美しい菊の和菓子を手に入れることができます。
各地で行われている重陽の行事
日本では、一般家庭において重陽の節句が行われることはほとんどありませんが、地域行事としては今もなお盛んに重陽の節句が行われています。
長崎くんち(長崎県長崎市)
九州ではおくんち祭りが各地で盛んに行われています。その中でも有名なおくんち祭りが「長崎くんち」です。
長崎の氏神である諏訪神社で開催され、踊りや演し物を見物することができます。
長崎くんちは1634年から始まったと言われており、古い歴史を持っています。
長崎くんちで踊られる奉納踊は、国指定の重要無形民俗文化財にも指定されています。
毎年、10月7日、8日、9日に開催されます。
唐津くんち(佐賀県唐津市)
九州で長崎くんちと肩を並べて有名なのが、佐賀県の唐津市で開催されている唐津くんちです。
唐津くんちは、唐津のまちの中心にある唐津神社において、秋季例大祭の一環として行われています。
唐津くんちでは14台の曳山が街を練り歩く迫力ある催し物を楽しむことができます。
毎年、11月2日、3日、4日の3日間に開催されています。
菊供養会(東京都台東区)
関東では、浅草寺で開催される菊供養会が重陽の節句の行事として有名です。
浅草寺では、1898年より重陽の節句において菊の供養がとり行われてきました。
菊供養会では、献菊をすることで下供菊をいただくことができ、この菊を陰干しした後で枕の下に敷いて眠るとご利益に授かれると言われています。
また、延命長寿のご利益がある菊のお守りの授与や金龍の舞の奉演を楽しむこともできます。
毎年10月18日頃に行われています。
重陽の節会(京都府京都市)
嵐山にある法輪寺では、毎年9月9日に重陽の節会が行われます。
法輪寺の重陽の節介は「菊まつり」として親しまれており、長寿祈願の法要が開催されます。
法輪寺の本堂には、菊の露で長寿を保ったと言われている菊慈童の像が祀られており、重陽の節会では、本像に菊や被せ綿を供えて祈りを捧げます。
参拝者には、菊酒などが振る舞われます。
笠間の菊まつり(茨城県笠間市)
重陽の節句と直接的な関係はありませんが、旧暦の9月9日付近に行われる日本最古の菊まつりが、笠間の菊まつりです。
茨城県笠間市にある日本三大稲荷として有名な笠間稲荷神社では、1908年から菊まつりを開催し、今年で109回目を迎えます。
境内の各所に計8000鉢にもおよぶ菊が展示されており、様々な種類の菊の美しさや香りを楽しむことができます。
毎年10月20日~11月25日頃の開催となります。
まとめ
聞きなれない重陽の節句ですが、古くから最も重要なものとして親しまれてきました。旧暦から新暦になったことなどをきっかけに行事としては廃れてきましたが、今でも各地には有名な行事が残っています。
行事に参加しなくても、栗ご飯や秋茄子を食卓に並べて、季節感の味を楽しむというのもいいと思います。
こちらも一緒に読まれています。