初詣の由来や参拝方法、喪中のお正月、正月遊びなどを説明します!
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初詣には由来があり参拝方法があります。何となくお願いしても願いはかないません!しっかりと参拝方法を覚えてください。また、忌中や喪中のお正月の過ごし方や、お正月遊び(こまの回し方、羽根つきのやりかたなど)も説明しています。
初詣とは、初詣の由来
初詣とは、その年はじめて神社仏閣へお詣りし、新年の無病息災や平安無事などを祈ることで、元旦早朝から行われる風習です。
- 年籠り(としごもり)の行事の元旦詣
- 恵方詣
この2つが合わさったものといわれています。二つの風習を少し説明します。
年籠り(としごもり)の行事
まず、「年籠り(としごもり)」という風習について説明します。
古来日本は、日が暮れる頃が一日の終わりで、日が暮れた夕方からは一日の始まりとされていました。つまり、大晦日は夕方までで、日没後は新年だったのです。
家長が氏神様を迎えに行く
年籠りとは、大晦日から元旦の朝にかけて、家長(かちょう:家を代表する者)が、氏神様をまつる神社に籠り、夜通しその年の豊作や家内安全などを祈願する行事です。境内で一晩中篝火(かがりび)を灯す場合もあります。
氏神様に籠るのは、単に一年の安泰を祈願するためだけでなく、年の初めに氏神様の境内で身を清めて、ご先祖の御霊(みたま)がいらっしゃる鎮守の杜へ、年神様をお迎えに行くという意味があったそうで、鎮守の杜から年神様をお連れして、家に招いたら、再び神社にお参りし朝を迎えるのが「年籠り」です。
やがて、年が明ける前のお参りを「除夜詣」、年が明けてからのお参りを「元旦詣」というようになりました。
恵方詣(えほうまいり)
年神様がいる方角にある神社にお参りすることを恵方参りといいます。関西方面では旧暦の正月(立春)に行われます。
恵方とは年神様のいらっしゃる方角のことで、毎年変わります。
年神様のいらっしゃる方角は、たたり神がいないと信じられているため、その方角を恵方といって、その方角の神社にお参りするのが良いとされていたのです。これを恵方詣といいます。
やがて、年籠りの元旦詣に恵方詣が合わさって、初詣になったといわれています。
明治以降・現在の初詣
江戸時代末期までの初詣は、「元日詣」のなごりで、元旦の早朝にその年の恵方にある神社仏閣に参拝する「恵方詣」が行われていました。
居住地から見て、その年に吉とされる方角にあたる神社仏閣へ、参詣していたため、年によって訪れる場所が違っていたようです。
しかし明治時代初期には、恵方にはこだわらずに、自宅の近くやご利益があると人気の神社や寺院など、人々の都合によって初詣に行く場所を選ぶようになります。
そして大勢の人出がある元旦をさけて、三が日(1日~3日)にお詣りする人も増え、三が日までの参詣を「初詣」と呼ぶようになり、やがて松の内(関東は1日~7日、関西は1日~15日)までの参詣を「初詣」と呼ぶようになり、現在のスタイルになっています。
氏神と年神
神社にお参りに行かなくても、神様はお正月に家に来て下さるのではないのかなと、疑問に思われた方があるのではないでしょうか。
年神様はご先祖様
じつは、家に来てくださるのは年神様といって、亡くなって三十三回忌(地域によって四十九回忌、五十回忌のところもある)を終えたご先祖様の魂なのです。
最終の法要を終えると、「弔い上げ(とむらいあげ)」といって、その先は法要をせず魂は他の先祖の霊と一緒になって、祖霊神という神になります。
誰にでもご先祖様はいらっしゃるので、それぞれの家には必ず年神様(祖霊神)は来てくださいます。この神様は、田の神、山の神として豊作を司る神様なのですが、同時に子孫を見守る神様で、毎年お正月に子孫たちのところにやってきて、一年分の魂をくださるのです。
氏神様は地域の神様
一方、氏神様は、同じ地域に住む人々が共同で祀る神社の神様のことで、氏神様を祀る人々を氏子(うじこ)といいます。氏子、一人一人の一生を見守っている神様のことです。
そんなわけで、同じ神様に守られている氏子たちの絆は強く、お祭りや農作業なども助け合って行っていたのです。
参拝の作法
最近は、人気のある神社仏閣は、人出が多くて、後ろから押されるように境内に入ってしまいますが、本来は身を清めて参詣しなければなりません。
参詣の作法を説明します。
神社の参拝の仕方
- 鳥居をくぐる前に、服装の乱れを整えます。(本来はここでコートやマフラー、手袋をとります)
- 神殿に向かって、一揖(いちゆう:浅いお辞儀)して鳥居をくぐり、境内の参道は真ん中を避けて左端を歩きます。お辞儀は、鳥居がたくさんあるときは一の鳥居の前だけでいいそうです。
- 手水舎(ちょうずや)で身を清めます。
- 右手に柄杓(ひしゃく)を持って水を汲み、左手を洗います。
- 左手に持ち替えて、右手を洗います。
- 右手に持ち替えて、左手のひらに水を受けて、口をすすぎます。柄杓に口を付けてはいけません。
- 左手のひらを洗います。
- 最後に柄杓を縦にして、持っていた部分に水が流れるようにして洗ったら、元の位置に戻します。できれば、水は汲み直さず、一杯の水で全行程を行いましょう。
- 神前に進み、賽銭箱に賽銭を入れます。
- 姿勢を正し、鈴を鳴らします。神様を呼ぶためのものです。鳴らした後は、神様の正面でなく少し外して立ちましょう。
- 姿勢を正して、二拝二拍手一拝の作法で礼拝します。(90度の最敬礼2回、拍手2回、90度の最敬礼1回)
- 帰りは境内の参道の右端を歩き、鳥居前で神殿に向き、軽く会釈し境内を出ます。
参道の歩き方
境内の参道の中心は「正中(せいちゅう)」といって、神様の歩く道になるので参道を歩く際は真ん中を避けて端を歩きます。
参道は左端から入っていきます。そして参拝後は参道の右端を歩いて出るようにします。このように参拝することで運気がまわるようになると言われていいます。
柏手(かしわで)について
拍手をうつのは、
- 素手であること
- 下心がないこと
これを神様に示すためのものです。
このとき、少し右手を下にずらして手を叩きましょう。手のひらが合わさることで神と人が一体になるのですが、こちらの清い気持ちを神様に証明する段階では、一体になるのは早いのです。
柏手の後にしっかり手のひらを合わせます。これで神と人が一体となり、神の力を得ることができるのです。
参拝はしっかりと
そして、次の手順で神様にお伝えしてお願いします。
- 自分の名前・住所
- 神様への感謝の言葉(いつもお守りくださってありがとうございます)
- 神様のさらなるご開運を祈ります。
- 「お願い事」ではなく「誓い」を伝えます。
お願い事では、どうしても欲深いものになってしまい神様に聴いてもらえませんので、「・・・のために精進努力する」といった誓いを伝えるようにしましょう!
最後に、自分と一体になって下さった神様を送り返す意味で一拝します。
ちなみに、出雲大社は「二拝四拍手一拝」、伊勢神宮は「八拝二拍手一拝」になります。
寺院の参拝の仕方
- 山門の前で一揖(いちゆう:浅いお辞儀)します。
- 手水舎で身を清めます。(清め方は神社と同じ)
- お線香を上げます。(お線香がない場合は省略してもよい)
- 一揖し、お賽銭を入れて、あれば鈴を鳴らします。
- 胸の前で合掌して祈願します。(拍手は打ちません)
- 一揖します。
去年の破魔弓やお札
一年間お世話になったお礼の礼拝をして、白い紙や半紙などに包み、初詣の際に神社に持参します。
古いお札を奉納する場所がありますので、そこに預けてお焚き上げをしてもらいます。
遠方の神社のお札や旅行先などで頂いたお守りなども、同じように奉納すれば丁寧にお焚き上げしてくださいますので、家に放っておかないようにしましょう。
喪中の時の初詣
昔は忌中(きちゅう。49日のこと)の間は、穢れているといわれ神事には加わりませんでした。現在でも忌中の49日間は、晴れがましいことをしてはいけないとされています。
また、喪中(もちゅう)とは亡くなった人の魂を偲ぶ期間という意味で、現在は亡くなった人との親等に関係なく、親族は一年間喪に服するとされています。
寺院は、喪中であろうが忌中であろうが、関係なくお参りできますが、神社の場合は、忌中は参詣できません。
基本的には、忌中が明ければ参詣しても大丈夫です。ただし、地方によって喪中には門松や鏡餅も飾らない場合がありますし、地元の長老や神社にお聞きした上で、ご家族が決められればいいと思います。
年始のご挨拶に訪問するときのマナー
お正月は、新しい年を迎えられたことを祝うのと、また一年お世話になりますという意味を込めてご挨拶に出かけるのが礼儀です。遠いところまでは無理でも、近くには伺いましょう。
訪問は元旦を避けて松の内に
では、お正月の挨拶はいつからいつまでに行くべきでしょうか。元旦ぐらいは、家族でゆっくり過ごしたいですね。ですから、元旦は避けます。
出来れば三が日の間に済ませたいですが、遅くても松の内の間には訪問しましょう。松の内は、地方で違っていて、関東では1月7日まで、関西では1月15日までとなっています。
時間は午後1時から3時ころ
時間帯は、午前中や食事時は避けます。午後1時から3時ごろがふさわしい時間となります。
基本は、玄関先でご挨拶して帰りますので、前もっての連絡はいらないとされていますが、会社関係のお家には、直前に電話を入れてから訪問するのがいいかもしれませんね。
引き止められても、「次に回るところがありますので失礼します」と断ります。これは失礼にはなりません。
服装
昔は正装が基本でしたが、最近はあまり気にされなくなりました。それでも年の初めのご挨拶ですから、身だしなみは整えて、男性はスーツ、女性はワンピースか和服がおすすめです。
お年賀
お歳暮を贈っていれば、必要ないのですが手ぶらで行くのも気が引けますね。
そんなときは、「お年賀」を持って行きます。ただし、松の内を過ぎれば「寒中御見舞い」に変わりますので注意してください。なお、先方にお子さんがいらっしゃるときは、「お年玉」を用意していきましょう。
反対に、子どもを連れていくのはよほど親しい親戚なら良いですが、会社関係などのお宅には遠慮しましょう。先方が「お年玉」の気遣いをされるからです。
なお、上司のお子さんには現金より、図書カードや文具券が無難です。
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喪中の場合
自分が喪中なら、年始の挨拶は不要です。
相手が喪中の場合も松の内の訪問は遠慮して、松の内が明けてから「寒中お見舞い」としてご挨拶に伺いましょう。
正月の遊び
「お正月」という唱歌に出てくる「凧あげ」「こま回し」「おい羽根(羽子板)」をはじめとして、その他にも、「福笑い」「すごろく」「いろはかるた」「百人一首」など、お正月の遊びは世代を超えて楽しめるものばかりです。
また、これらの遊びの由来をみると、子どもたちの健やかな成長や家族の願いもこめられていたものが多いです。
最近ではお正月遊びを見かけなくなりましたが、昔から伝わる伝承の遊びを見直して、後世に伝えていきたいですね。
ここではそんなお正月遊びをご紹介します。
凧あげ(たこあげ)
歴史は古く、平安時代に中国から入ってきました。当時は貴族の遊びでしたが、戦国時代になると戦いの兵器として活用されていました。
江戸時代になって、男の子の誕生祝として凧あげをするようになり、凧が高くあがるほど願いが叶い、子どもが元気に育つといわれ、庶民の間で広まりました。
「凧」は関東の呼び名で、関西では「イカ」とか「イカのぼり」と呼ばれています。
どちらも空を飛ぶ姿が、海を泳ぐタコやイカに似ているところから付けられた名前です。
また、長崎では江戸時代初期にオランダ人が伝えた「ハタ」という凧が広まりました。外国にも凧揚げがあったのですね。現在も、全国で凧あげ大会が催されていますが、とくに祝い凧同志をからませて相手を落とす新潟白根地域の「凧合戦」や、長崎の「ハタあげ大会」はにぎやかです。
新潟白根地域の「凧合戦」
長崎の「ハタあげ大会」
こま回し
名前の由来は、奈良時代に唐から韓国の高麗(こま)を経て伝来したので「こま」というようになり、「独楽」の漢字を当てました。
独楽まわしは、宮中の年中行事の余興として行われていたものが、平安時代に貴族の遊びとなり、後に子どもの遊び道具として江戸時代には庶民の間に広まりました。独楽が回転するのを、物事がうまく回るとかけて縁起がいいとされ、お正月にも欠かせない遊びでした。
また、立ち上がって回転する独楽を、子どもの自立と重ねて、独り立ちできるように願いを込めていたともいわれています。独楽同志をぶつけて勝負するものや、紐の上を滑らせる曲芸独楽など江戸時代には工夫した遊びを発展させました。
最近のお父さんは、独楽を回せない方も多いそうですので、参考までに独楽回しのコツを説明した動画を貼っておきます。
練習して上手くなったら、みんなから一目置かれるかもしれませんね。
コマのまわし方
ベーゴマ
子どもの遊びで独楽といえば、「ベーゴマ」という独楽もあります。平安時代に京都の周辺で始まったといわれ、バイ貝の殻に砂や粘土を詰めてひもで回したのが始まりで、関西から関東に伝わった際に「バイゴマ」が訛って「ベーゴマ」になったそうです。
これは回して楽しむのではなく、喧嘩独楽といって、勝負して相手の独楽を取り合う遊びで、後に鋳鉄製になってからは子どもたちが独自で改造した独楽で白熱した試合をしていました。
羽根つき
羽根つきは、奈良時代の神事「毬杖(まりつえ;ヘラのような杖でマリを打ち合う)」が時代とともに変化し、杖が羽子板に変化し、毬が羽に変わったと言われています。
また、分銅というおもりに羽を付けて蹴る遊びが中国から伝わり、日本の毬杖と一体化したのではないかともいわれています。
室町時代に、この神事の毬は「無患子(むくろじ)」の実に鳥の羽を付けたものを使う遊びになり、公家に広まります。
無患子は、「子(こ)の、患(わずらい)が、無(ない)」と表記するので、女児への無病息災の願いが込められています。
戦国時代からは、羽根つきよりも羽子板に縁起物の押し絵装飾を施し、飾り物として広まるようになり、江戸時代になると、女児の誕生を祝って羽子板を贈答する習慣ができました。現在でも、女児の健やかな成長を祈ってお嫁さんの実家から羽子板を贈答される習慣は続いています。
遊び方は、羽根をつく回数を個人で競う「揚羽根(あげはね)」と、数人で交互につき返す「追羽根(おいばね)」があります。つくときは羽根つき歌を歌います。全国に羽根つき歌は残っていますが、地方によって微妙に違います。
参考までに、追羽根と滋賀県米原市の羽根つき歌をご紹介します。
羽根つき・追羽根
賀県米原市の羽根つき歌
双六(すごろく)
双六は、最も古い遊びの一つで、インドが発祥の地で奈良時代頃に中国を経て日本へ伝わり、貴族のあいだで盛んに行われました。このころの双六は、「盤双六」です。
現在知られている双六とは、サイコロを振って出た目の数だけ駒を進めて、上がりに近づけるボードゲームのことですが、これは江戸時代に発生した「絵双六」のことです。
名前の由来は、江戸時代、サイコロを2個一緒に振り、最大数の6を出すと優勢になるというゲームだったので、両方六を出すという意味の「双六」と呼ばれました。
古くから伝わるものは、現在のバックギャモンのようなルールだったらしく「盤双六」といって「雙六」と呼び、後に江戸時代に発生した誰もが楽しめる絵双六を「双六」と呼んで区別していました。
江戸時代の絵双六には、
- 東海道五十三次を進んでゆく道中双六
- お芝居のあらすじをたどる野郎双六
- 勧善懲悪や立身出世などのテーマを持ったもの
など、たくさんの種類があって大変人気がありました。
一方で、賭博性の高いものもあったため、天保時代には禁止されてしまいます。
明治以降は、文明開化や富国強兵をテーマにしたり、子どもの本の付録にしたので再び広まりました。現在のテレビゲームやボードゲームの中にも、サイコロを取り入れたものが多く、これらは双六が進化したものといえます。
何人でも参加できて、ルールも簡単な双六は、お正月にみんなで楽しめますね。
かるた
かるたは、室町時代ポルトガル船が来航したときに伝えられたもので、ポルトガル語で「カルタ」は「手紙」「カード」をさし、トランプゲームなどのことでした。
それが平安時代に貴族の間で行われていた貝合わせという遊び(貝の裏に絵や歌を書いたものを合わせるゲーム)と結びついて、かるたになったといわれています。
江戸時代に考案されたいろは47文字を使った「いろはかるた」が最も有名で、「江戸かるた」や「上方かるた」「尾張かるた」のほか、地方には地方の特色を生かした「郷土かるた」も多数存在しました。
知恵やことわざを表していますが、たとえば「い」を比べてみると、
- 犬も歩けば棒に当たる(江戸)
- 一寸先は闇(上方)
- 一を聞いて十を知る(尾張)
というように、地方によって少しずつ違っています。
昔の人の知恵がこもった「いろはがるた」は、子どもがひらがなやことわざや生活に必要な知恵を遊びながら覚えられるようにと、一種の教材として考え出されたものなので、その土地に住むための知恵や戒めなど、または時代でも変化していきました。
現在でも、保育園や幼稚園で授業としてかるたを作ったり、大会をしたりして、楽しみながら知恵やひらがなを教えるところが多いですね。
お正月はテレビゲームを止めて、老若男女が楽しく遊べる伝統の遊びを取り入れてみませんか。
筆者はお正月に集まった親戚の子どもたちと、毎年双六を手作りしています。「尻文字でおめでとうをして振り出し」や「変顔して1つ下がる」など、楽しい思い出ができます。
工夫して、みんなで楽しむのもおすすめですよ。
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