年末の大掃除や年越し蕎麦、年賀状の書き方など。年末にやることをご紹介!
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何かと忙しい年末ですが、大掃除や年賀状、お正月の用意はしっかりとやっておきたいですね。ここでは大掃除、年賀状のマナー、お正月の用意と地方の行事をご紹介します。年末行事の意味を知って、気持ちよく新年を迎えましょう!
煤払い・大掃除
煤払いの由来
煤払い(すすはらい)は最近では聞かない言葉ですが、年末に家の中の煤を払って大掃除をすることから、大掃除は煤掃き(すすはき)ともいう風習なのです。
平安時代に宮中で始まったとされ、鎌倉時代以降、掃除が禅宗の修行として広まったので寺社仏閣に煤払いが始まります。その後、江戸時代になると、お城でも御用納めの日に煤払いを行うようになり、庶民にも広まりました。
正月事始め
お正月の年神様をお迎えするのに、家の内外をきれいに掃除し、神棚や仏壇を清めます。
一年間たまった煤やほこり、穢れ(けがれ)を払う伝統的な風習が「煤払い」です。煤払いの行事から、お正月を迎える準備を始めることになるので、「正月事始め」といいます。事始めは縁起の良い日が選ばれ、昔は12月13日に決められていました。
御用納めは12月13日だった
この日は暦の上では「鬼宿(きしゅく)」といって、鬼が出歩かない日で、婚礼以外は何をやっても大吉という日のため、江戸時代、江戸城の御用納めをこの日にして、神棚や城内の清掃を行ったことが、庶民にも広まり12月13日に煤払いをするようになったといわれています。
毎日の炊事に薪や炭を使い、暖房用の火鉢からも煙や煤が出るし、照明用のロウソクや油からも煤が出たのでしょう。煤払いには、先に葉を残した状態の竹や笹、または藁(わら)を竹竿の先に束ねてくくりつけたものを使って、天井の煤やほこりを掃いたそうです。
それから後も電気やガスが普及する前までは、年末にはどこの家でも天井の煤払いをやっていました。煤払いが済むと、「松迎え」といって、門松にする松を山に採りに行ったり、しめ縄を作ったり、おせち料理の材料や薪をそろえ始めます。いよいよお正月準備が始まります。
竈(かまど)の神様
台所は荒神(こうじん)が司り、刃物や火によって命を頂き、新しい生命のために形を変える神聖な場所です。汚すとその家が滅ぶといわれるほど大切に扱っていました。
だから台所、特に竈は神棚や仏壇と同じ扱いをされたのです。煤払いの後はお正月準備で年神様用のお料理を作ることになるので、特に竈(かまど)をきれいにしました。
今でも、台所に荒神様をお祀りし、ガスコンロのそばに荒神様のお札を貼っている家庭も多いですね。
餅つき
お正月だけでなく、桃の節句や端午の節句、ハレの日の餅撒きなどお祝いごとや行事食としても餅つきが欠かせません。
また、餅つきは一人ではできないため、親戚やご近所の連帯感を高め、喜びを分かち合うという社会的意義もあるのです。
その中でも、お正月の餅は特別な意味があります。お正月には新年を司る年神様が来て下さり、新年の魂「年魂(としだま)」を授けてくださると考えられていて、そのために餅つきをするからです。
お正月には2種類の餅を作ります。1つは「鏡餅」もう1つは「お雑煮用の餅」です。
鏡餅
古事記や日本書紀によると、御神体という神様が宿るものは、八咫鏡(やたのかがみ)のような、神鏡(しんきょう)と呼ばれる丸い形の鏡が多く、その神鏡に似せて作られた餅を、鏡餅(かがみもち)といいます。
奈良時代には、すでにこれを作って神社にお供えしていたようです。
一般の鏡餅は、床の間に飾られることから、床の間文化ができた室町時代の武家社会から始まったものが庶民に広まったといわれています。
初めは、武士が床の間に甲冑を飾り、その前に供えた「武家餅」といわれるものが「鏡餅」に変わっていき、元日に家へ来られた年神様がお宿りになる場所として丁寧に飾られるようになりました。金沢地方では、殿様と同じ鏡餅を飾るのは恐れ多いと、紅白の鏡餅を飾った風習が今も続いているそうです。
また、鏡餅を頂くときは、神様が宿られたものなので刃物は使わず、木槌などで割ります。
お雑煮用の丸餅
餅つきの際、つき上がった餅で、まず鏡餅を作った後、残りの餅で小さな丸餅を作ります。
そして、鏡餅と一緒に家族分の小さな丸餅を三宝にのせてお供えします。その餅には、年神様が1年分の魂を入れてくださるのです。これを「年魂(としだま)」といって、元日の朝に家長がそれを頂いて家族に渡しました。ちなみに、これが「お年玉」の由来です。
お雑煮で魂をもらい、全員が年をとる
その餅で、お雑煮を作って食べた瞬間に1年分の新たな魂(気力)を頂くとされ、これが元日に全員が歳を頂く「数え年」の考え方です。
餅つきの日
一般には、29日は避けます。29の読みが苦や二重苦を連想させるので「苦餅」「苦持ち」といって、忌み嫌います。
また、正月飾りは12月30日までに飾る習わしがあり、餅つきも31日にするのは縁起が悪いといわれます。
ただ、地方によっては29を「ふく」と読み「福餅」と解釈するところがあります。また、氏神様の創建の日などが31日の場合、それに合わせて31日にお供えをする地域もあるようです。
年賀状
最古の年賀状は、平安時代の学者藤原明衡が知人にあてた「春始御悦向貴方先祝申候訖」という手紙です。
「春の始めの御悦びを、貴方に向かってまず祝い申しあげます」という意味です。
平安時代、年が明けてお世話になった方や親戚に、年始の挨拶に回る習慣がありました。これは大正時代まで続きます。
その習慣が、遠方の知人に書状を送って簡略化されたのが「年賀状」です。一般に広がったのは、明治4年の郵便制度の開始からです。ちなみに、お年玉付年賀はがきが始まったのは、昭和24年12月で、その時の特賞はミシンでした。
年賀状のマナー
年賀はがき以外で出す場合は、切手の下あたりに朱書きで「年賀」と書いておかないと、通常郵便とみなされてしまいますので、注意しましょう。必ず1月1日に届くように、12月25日までに投函しましょう。
裏書き
- 新年を祝う言葉「賀詞」を入れます。「賀正」「迎春」は目上には使いません。
- まず、お世話になったお礼や挨拶、次に、相手の繁栄や幸福を願う言葉、最後に、今後の指導・鞭撻をお願いする言葉を入れます。
- 末尾に日付を入れます。元旦は新年最初の日という意味なので、○年元旦と使います。
- 住所、氏名など表書きに書いていない場合は裏書きに入れます。
表書き
- 縦書きの数字は、漢数字を使います。
- 名前は表書きの中で、一番大きく書きます。
- 敬称は、個人は「様」会社には「御中」です。会社の個人宛の役職名は、名前の上に小さく書きます。たとえば「部長○○様」と書きます。弁護士、医師、恩師には「○○先生」と書きます。
返礼
出していない相手からもらったら、すぐに返礼を出します。年賀状のお礼、遅れたお詫び、投函した日の日付けを入れます。目上の人には、お礼の言葉は失礼になるので、通常の年賀状の書き方で出します。
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喪中欠礼状
近親者で1年以内に不幸があった時、年賀状を頂きそうな相手にその旨を知らせるために出す挨拶状で、12月の初旬頃までに出します。
受け取った側は、年賀状は出さず、松の内が明けてから寒中見舞いとして出します。
最近は、インターネットの普及で、電子メールで済ますことも増えていますが、目上の人には失礼にあたります。
慌ただしい年末ですが、パソコンなどで手軽に作成できるようになりましたし、余裕をもって書きたいものです。日本独自の習慣を楽しみたいですね。
大晦日
晦日(みそか)とは太陰太陽暦の「月の最終日」のことで、「晦」という字は、月相を表わし、月が隠れるという意味があります。
月の満ち欠けを見て暦を決めていたので、中旬頃の満月が徐々に欠けて行き、30日で月が見えなくなるという意味で、30日のもう一つの呼び名「つごもり」というのは「月隠り(つきごもり)」からきています。
二十日をはつか、三十日をみそか、と読んでいたので、三十日に晦日の当て字を使うようになり、「みそか」「つごもり」と呼ぶようになりました。「大晦日」というのは、「大つごもり」ともいい、一年の最後の日という意味になります。
除夜の風習
大晦日の夜のことは「除夜」といいます。旧年を除く夜という意味で、神社では「大祓(おおはらえ)」といって、一年の罪を人形(ひとがた)に託して流し、一晩中年神様をお迎えする篝火(かがりび)を焚き、お寺では「百八煩悩の鐘」を突きます。
最近は、午前0時が一日の境と考えられていますが、昔は日没が一日の境とされていたため、除夜はすでに新年ということになります。
日没までにお正月の準備を終わらせて、除夜は年神様を迎える神聖な夜だったのです。そのため「年守る(としまもる)」といって、各家庭で心身を清めた後、お正月のご馳走を食べ、神様のための篝火(かがりび)として、囲炉裏の火を大きく燃やしながら明け方まで起きている風習がありました。
「寝る」「眠る」は病気で寝込む意味もあるので忌み言葉とされ、除夜には使えませんでした。子どもたちが我慢できずに寝てしまうときは、寝ることを「稲積む(いねつむ)」起きることを「稲拳ぐ(いねあぐ)」と、おめでたい稲を使った言葉に変えて使いました。
現在も除夜に早く寝ると、白髪になるとか、皺がよるといって朝まで起きている地方もあるようです。
年越し行事
大晦日から元旦までの間の行事を「年越し」といいます。これは、数え年の風習で、元旦に一斉に年を取ることからきています。
年越しそば
この風習は、江戸時代から始まったといわれます。
由来は諸説あるのですが、金銀細工師が、金や銀の粉を掃除するときに蕎麦粉を練ったものを使ったことから、お金持ちになれるとか、蕎麦の形態から、細く長く幸せに生きられるようにとか、蕎麦が切れやすいところから、一年の災いを断ち切るとか、その他にもいろいろな縁起を担ぐ由来があります。
初めは関東だけでしたが、明治、大正になって関西でも蕎麦を食べるようになり、うどん好きな香川県でも、最近は年越しは蕎麦を食べる人の方が多いのだそうです。東北や甲信越地方は、お正月に祝い蕎麦を打つ習慣があったそうです。
除夜の鐘、108の由来とは
108の由来は、太陰太陽暦による一年間を表すとか、四苦八苦(4x9+8x9)を取り去るといった説もありますが、浸透しているのは煩悩の数を表すという説です。
仏教でいう煩悩とは、以下の六根があり、
- 眼(げん)
- 耳(に)
- 鼻(び)
- 舌(ぜつ)
- 身(しん)
- 意(い)
この六根にそれぞれ、
- 好(こう:気持ちがよい)
- 悪(あく:気持ちが悪い)
- 平(へい:どうでもよい)
の3つがあり18類。
この18塁にそれぞれ、
- 浄(じょう:清らか)
- 染(せん:きたない)
の2類があって36類。
この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108になり、これが人間の煩悩となるのだそうです。
ちなみに、六根とは人間の「見る」「聞く」「嗅ぐ」「味わう」「触れる」という5種の外的な器官と、それらと密接に結びつきながら、いろいろな精神活動をつかさどる作用「意識」の6器官をいいます。
本来の除夜の鐘は、108回目は年が明けてから突きます。新年が煩悩に惑わされず幸せに暮らせるようにという意味が込められています。
なお、富士宮市の大石寺は年明けと同時に1つ目が突かれます。
各地に残る除夜の行事
なまはげ
秋田の男鹿地方では、赤鬼と青鬼が髪を振り乱し、体中ケダシという藁で覆い、出刃包丁を持って叫びながら家々を回ります。鬼たちは年神様の化身です。
尻枕(けつまくら)
青森の一部の地方は、「尻枕」といって囲炉裏の回りに集まり年長の人からお尻を枕にして順に横になるそうです。不安定なので眠れないのですが寝るためではなくて、「年守る」の風習だそうです。
悪口まつり(あくたいまつり)
足利市の大岩毘沙門天では、一年間のうっぷんを発散し、清々しい気持ちで新年を迎えるお祭りで、江戸時代から伝わるそうです。
ほら貝の音に先導されて、夜空に向かって「バカやろう」などと大声で叫びながら山頂の本堂を目指します。びんぼう、どろぼうなど「ぼう」のつく言葉は禁句だそうです。
甑島(こしきじま)のトシドン
鹿児島の薩摩川内市に伝わる行事で、鼻の長い鬼のような面をつけて、シュロの木の皮で作った蓑を着た年神様の化身が、子どものいる家を回ります。
前もって家族から叱ってほしい内容を聞いておいて「いつも天から見ているんだぞ」と子どもたちを懲らしめ、反省した子どもは年餅を1つもらうというお祭りだそうです。
種子島のトシトイドン
トシドンと同じように年神様が家々を回ります。
屋久島のトイノカンサマ
トシドンとほとんど同じようなお祭りです。
おけら詣り
京都八坂神社の伝統行事で「をけら灯籠」の浄火を火縄にうけて、消えないようにくるくる回しながら持ち帰り、その火で灯明をつけ、雑煮を炊いて新しい年の幸せを祈ります。
各地の年越し料理
各地方に伝わる年越しの風習もだんだん廃れてきているようですが、それでも残っているものもたくさんあります。夫の実家に帰省して、風習に驚いたという話もよく聞きます。
北海道
北海道では、夜は握り寿司を食べる風習があります。お寿司屋さんは一年で一番忙しい日だそうです。
なお、おせち料理も、大晦日の夕方から並べて、合間に年越し蕎麦も食べるという豪勢な宴会になります。他県から嫁いだ人は、何時間もだらだら食べ続ける習慣に驚くそうです。
東北地方や長野県、新潟県
大晦日に、おせちを食べるのは、こちらが元祖かもしれません。
北海道を開拓したのは松前藩や仙台藩、斗南藩などの東北地方の藩が多かったので、北海道の年越しにおせちを食べる風習も伝わったのではないでしょうか。
本来は、年神様は大晦日の日暮れに訪れ、新年が始まると考えられ、夜に家族で祝い膳を食べていた風習が残っていたものと思われます。
宮城県の一部
ナメタカレイの煮つけを食べるそうです。年末になるとお値段も跳ね上がる高級魚です。
岡山県の一部
海沿いの地域では、結婚後初めての正月に嫁の実家から鰤(ブリ)を1本贈る風習があるそうです。
鰤は成長するにつれ名前が変わる出世魚と呼ばれ、縁起が良い魚です。(この風習は瀬戸内の他の県でも見られます)また、山間部では鰯(イワシ)のお頭付きの塩焼きを食べて魔よけにするのだそうです。
福岡県
福岡の年越しには鰤(ブリ)が欠かせません。
年越しは刺身で、新年は照り焼き、煮物と、一匹使ってしまいます。こちらでも一部地域では、お嫁さんの実家から嫁ぎ先に鰤を贈る風習があります。
香川県
年越し蕎麦の代わりに年越しうどんを食べる風習があります。
細く長くではなくて、太く長くという意味です。関西方面ではうどんを食べるところも多いです。
饂飩(うんどん)といって運がつくという意味もあります。
しかし、最近ではうどん好きな香川県も年越しには蕎麦が優勢だそうで、うどん協会では年が明けてからうどんを食べる「年明けうどん」を広めようとされているそうです。
沖縄
沖縄の年越し蕎麦は、ソーキ蕎麦です。
蕎麦といっても小麦粉で作られた麺です。最近では日本蕎麦を食べる家庭もあるようです。
さいごに
最近は、年越し蕎麦もカップ麺だったり、ピザやおせち料理の宅配、すき焼きやお鍋を囲む、年末から旅行などそれぞれの家庭の事情で、伝統にとらわれず好きなものを食べて休暇を楽しむことが多くなりました。
平安時代から徐々に変化して時代に合うように伝えられている風習ですから、今風に変えていくのも良いと思います。ただ、昔の人々の見えないものに対する畏敬と丁寧な暮らしをする心意気は残したいし、それを伝えることが伝統ではないでしょうか。少子化で無くなりそうな行事もあるそうで、残念でなりません。
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